現代の審美歯科が用いる評価の基準の多くは、総義歯を作る学問から生まれました。歯が一本も残っていない口には、合わせるべき歯がありません。ゼロから、その方の顔立ちに調和する形と色と並びを決めるほかになく、この制約が、美とは何かという問いを歯科に持ち込みました。ただし審美歯科そのものは補綴学だけから生まれたのではなく、矯正、保存修復、歯周の知見が合わさって成り立っています。

失われた美を取り戻す学問

20世紀の前半、歯科医学は一つの転換点を迎えていました。機能の回復から、その人の顔立ちの回復へと、見る先が移っていったのです。その舞台となったのが、総義歯補綴学という領域でした。

人は歯を失うことで、噛む働きだけでなく、表情の一部を失います。笑ったときの口元の曲線、言葉を発するときの唇の動き、顔全体の釣り合い。これらが歯によって支えられていることを、当時の補綴学者たちは理解していました。総義歯を作るということは、歯の形をしたものを口に置く作業ではなく、その人固有の顔立ちを人工物で再現する仕事だったのです。

1728年、ピエール・フォシャール(Pierre Fauchard)によって近代歯科医学の基礎が置かれてから約二百年を経て、総義歯補綴学は二十世紀の初頭に技術的な成熟を迎えていました。しかし、その先に起きたのは技術の進歩ではなく、考え方の入れ替わりでした。

1950年代、美が概念になる

1950年代に入り、esthetics という言葉が、歯科補綴の領域で体系的に論じられるようになります。それまで「見た目が良い」「自然に見える」と漠然と語られていたことが、分析と議論の対象になりました。

この体系化は、総義歯補綴学においてはじめて可能になったものです。総義歯には、合わせるべき既存の歯がありません。歯科医師は文字どおりゼロから、その人の顔に調和する歯の形と色と並びを決めなければならない。この制約が、審美とは何かという問いを生みました。

この時期の仕事の一つに、パウンド(Earl Pound)の1951年の研究があります。彼は、前歯の傾きと位置が、発音と、唇の支持と、見た目にどう関わるかを扱いました。機能と見た目を、別々のものとして扱わなかったのです。

補綴学の外でも、顔全体を評価に含める試みが進みました。矯正歯科のリケッツ(Robert M. Ricketts)は1968年、鼻の先端と、あごの先端の軟組織とを結ぶ線を引き、その線に対する上下の唇の位置で横顔を評価する方法を示しています。のちに E-line(審美線)と呼ばれるものです。専門を異にする領域が、それぞれに、美とは何かという問いに向き合い始めていました。

学術的基盤の上に築かれた美の理論

1955年から1959年にかけて、フラッシュ(John P. Frush)とフィッシャー(Roland D. Fisher)は、Journal of Prosthetic Dentistry 誌に六篇の連載を発表し、Dentogenic Esthetics(歯原性審美学)という考え方を示しました。

この理論は、何もないところから生まれたものではありません。ウィリアムズ(J. Leon Williams)による前歯形態の分類、二十世紀の初頭から積み上げられてきた顔貌計測の知見。それらを統合したものでした。

Dentogenic Esthetics の中心にあるのが、SPA因子です。性別(Sex)、個性(Personality)、年齢(Age)。この三つをもとに人工歯を選び、並べることで、機能の回復を超えて、その人固有の顔立ちを再現しようとしました。

この考え方が新しかったのは、歯を、形を写したものとしてではなく、その人の人格と歴史があらわれる場所として捉えた点にあります。

女性の歯は丸みを帯び、柔らかな曲線を描く。男性の歯はより角張り、力強さを感じさせる。若い人の歯は切縁が鋭く、年を重ねた人の歯には摩耗の跡が刻まれている。活発な方には生き生きとした並びを、穏やかな方には落ち着いた調和を。

フラッシュとフィッシャーは、歯科医師を、患者が目で見て理解できるところまで導く役割として位置づけました。機械的で無個性な歯の配列から、一人ひとりの個性を表現する仕事へ。これが、彼らが総義歯補綴学にもたらした静かな革命でした。

総義歯補綴学が残した原則

二十世紀の前半から中頃にかけて、総義歯補綴学は、今日の審美歯科でも用いられる原則を残しました。

気質説と、その否定

1905年、ベリー(F. H. Berry)は、歯の形がその人の気質に対応するという考え方を、補綴の技術の基礎に据えられないかと論じました(気質説)。

1914年、ウィリアムズはこれを退けます。歯の形が気質や人種に対応するという説には根拠がない。彼はそう述べたうえで、別の分類を提唱しました。今日、当院が規格を個人に当てはめることを採らないのは、この百年前の否定と同じ理由によります。

前歯形態分類

ウィリアムズが示したのは、正方形、卵円形、尖形という三つの類型と、顔の輪郭との対応でした。気質ではなく、形と形の関係に置き換えたのです。この対応は、今日でも歯の形を選ぶときの出発点になっています。

スマイルラインと下口唇の相関(フラッシュ、フィッシャー)

上顎前歯の切縁を結ぶ線(スマイルライン)が、下口唇の曲線に調和することで自然で魅力的な笑顔が生まれることを明確化しました。この原則は、現在のスマイルデザインの根幹にあります。

前歯の排列と、発音および口唇の支持

前歯の長軸の傾きと位置が、発音と、見た目と、顔の支持に与える影響を、体系的に扱いました。機能と美を、一つのものとして結びつけたことになります。

審美歯科という領域の誕生

これらの理論的基盤の上に、1960年代から80年代にかけて、審美歯科という新しい領域が形づくられていきます。

ピンカス(Charles L. Pincus)は、1930年代、ハリウッドの俳優のために、着脱式の化粧用のキャップを作りました。ただしこれは撮影のときだけ使う一時的なもので、永続する審美修復とは言えません。永続する審美ベニアが実現するまでには、さらに半世紀近くを要しました。

1973年、ロシェット(Alain Rochette)が、エナメル質を酸で処理して金属を接着する方法を示します。1983年、ホーン(Harold R. Horn)が、酸処理したエナメル質に接着するポーセレンラミネートベニアのシステムを臨床で使える形にしました。その基礎にあったのが、1955年のブオノコア(Michael G. Buonocore)による酸エッチングの発見であり、1980年代のレジンセメントの開発でした。

ただし、審美歯科という領域は、補綴学だけから生まれたものではありません。矯正歯科における歯列の調和、保存修復における色調の再現、歯周病学における歯ぐきの健康と形。これら複数の領域の知見が統合されることで、今の包括的な審美歯科が成り立っています。

多分野への展開

現在の審美歯科で用いられる評価の指針の多くは、総義歯補綴学で培われた研究に由来します。しかし審美歯科そのものの歴史は、古代の補綴技術から、保存修復、矯正治療へと広く連なる、いくつもの層を持ったものです。

歯の形と顔立ちの関係、性別による特徴の違い、年齢に応じた摩耗の再現、個性を表すための微細な配置の変化。これらは、すべてをゼロから作らなければならない総義歯という条件のもとで、はじめて体系化されました。そしてその知見が、現在のセラミッククラウンやラミネートベニア、さらには矯正治療におけるスマイルデザインの基礎へと受け継がれています。

歯ぐきとの調和については、総義歯の床縁の形についての研究だけでは足りませんでした。歯周病学における、歯ぐきの生物学的な健康と形についての進展が欠かせませんでした。現在の審美歯科は、こうした複数の領域の知見を統合したものです。

アメリカ補綴歯科学会(American College of Prosthodontists)は、現在の補綴学が、固定性補綴、可撤性補綴、顎顔面補綴、そして審美歯科という、もともと別だった領域が統合されて今の形になった、と述べています。同学会が引く米国歯科医師会の定義も、補綴学を、口の機能と快適さと外観と健康の回復と維持に関わる領域としており、外観はそのうちの一つとして置かれています。

補綴学は、審美歯科に中核となる知見を与えました。そして審美歯科はいま、保存修復、矯正、歯周にもまたがる領域として広がり続けています。

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表参道歯科アールズクリニック院長

田中良一

東京医科歯科大学(現 東京科学大学)歯学部卒
元 山王病院歯科医長(審美歯科・歯周補綴担当)

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