「誰にも気づかれたくないんです。」

初診でそうおっしゃる方は、少なくありません。

綺麗にしたい。でも、「何かした?」と聞かれたくない。変わりたい。でも、変わったと思われたくない。この二つは矛盾しているように聞こえますが、私はそう思いません。むしろ、審美歯科の本質はここにあると考えています。

以前、ある患者さんがこうおっしゃいました。「美容院で『少しだけ変えてください』と言うとき、本当はもう少し変わりたいと思っている。でも、変わったねと言われるのが怖い。」

この感覚は、私の診療室でもよく目にします。

歯を治したことを知られたくない。治療を受けたこと自体を、なかったことにしたい。これは虚栄心ではありません。自分の印象を自分で管理したいという、ごく自然な感覚だと思います。

特に前歯の治療は、人から見える場所です。家族にも、同僚にも、友人にも気づかれる可能性がある。だからこそ、「変わった」と思われることへの不安は大きい。

診療していて気づいたことがあります。

患者さんが本当に求めているのは、歯の美しさだけではないことが多い。「もともとこうだった」という顔です。治療の痕跡がない状態。最初からそうだったかのような自然な美しさ。

これは技術的に言えば、顔貌や天然歯との一体化を意味します。色だけではなく、光の透過性、表面の質感、歯茎との境界の処理、隣の歯との微妙な色の差。これらが合って初めて、「気づかれない」仕上がりになります。

症例写真で見せられる変化ではなく、写真を撮っても分からないくらいの仕上がり。それが目標です。

当院に来られる方の多くは、治療を受けたこと自体を知られたくないとお考えです。私たちが症例写真の掲載をお願いしていないのは、そのためです。

誰にも気づかれない。でも、自分だけは知っている。その静かな満足が、この仕事で最もうれしい瞬間です。

執筆者:SERENITAS | 表参道歯科アールズクリニック 院長 田中良一
東京医科歯科大学(東京科学大学)卒業
元 山王病院 歯科医長(審美歯科・歯周補綴担当)