1. Home
  2. /
  3. 審美歯科アーカイブ
  4. /
  5. EQUIPMENT
  6. /
  7. 診療前後の時間を、静かに整える一脚

執筆者:表参道歯科アールズクリニック 院長 田中良一
東京医科歯科大学(現:東京科学大学)歯学部卒業
元 山王病院 歯科医長(審美歯科・歯周補綴担当)

院長経歴はこちら

PHILIPPE HUREL GORDONチェア

診療をお待ちいただくひととき。それは、治療そのものと同じくらい大切な時間だと、私たちは考えています。

表参道歯科アールズクリニックの待合室に置かれているGORDONチェアは、その思いを静かに体現するかのように、空間全体に穏やかな緊張感と落ち着きをもたらす存在です。この椅子に腰を下ろした瞬間、ふと呼吸が深くなる。そんな体験を、多くの患者さまから伺ってきました。

一脚の椅子が持つ力とは何か。それは、ただ座るための道具としてではなく、心と身体を整える場としての役割です。今日は、当院がこの椅子を選んだ理由と、その背景にある想いについて、少し詳しくお話しさせていただきます。

PHILIPPE HUREL ― 百年を超える家具づくりの系譜

このGORDONチェアを擁するのは、PHILIPPE HUREL(フィリップ・ユーレル)というブランド。その歴史は、1911年にモーリス・グージェ(Maurice Gouget)という人物が、フランスのクーロンヌで「ラ・ファブリック・ド・ムーブル・ド・クーロンヌ」を設立したことに始まります。

当初は、バーやカフェ向けのカウンターなど、商業用の家具を製作していました。職人の手による確かな技術と、丈夫で実用的な家具づくり。その基礎が、この時期に築かれたのです。

1948年、モーリスの娘婿であるピエール・ユーレル(Pierre Hurel)が事業を引き継ぎ、家業を近代化しました。そして1968年、ピエールの息子であるフィリップ・ユーレル(Philippe Hurel)が会社に加わります。

フィリップ・ユーレルは、ベルギーでグラフィックアートとインテリアを学んだ後、アメリカに渡りました。そこで彼が認識したのは、クリエイティブな分野における自由な創造の大切さでした。

1970年、フィリップ・ユーレルが経営を引き継いだ時、彼は大きな決断をします。それまでの18世紀や19世紀のスタイルから脱却し、現代的な家具デザインへと路線を変更したのです。

「美が存在すれば、様々な可能性を自由に試すことができる。シンプルであることは、複雑であること以上の存在感をもつ」

この信条のもと、フィリップ・ユーレルは自らの家具のコレクションを発表します。クラシックな家具のデッサンをベースに、一層磨きのかかったシンプルなラインで、現代の生活空間にふさわしいフォルムの家具が次々と描かれることになりました。

フィリップ・ユーレルのコレクションは、シンプルでオーセンティックな美しさが感じられ、木の質感がよく活かされています。木のことを知り尽くし、何よりも木を愛する彼が材種選びからこだわり、それぞれの良さを存分に引き出し美しく優雅な家具を送り出してきた理念は、ブランドに確かに継承されています。

現在、同社はフィリップの息子であるマキシム・ユーレル(Maxime Hurel)によって経営され、新たなデザインを生み出し続けています。百年を超える家具づくりの系譜が、今も途切れることなく受け継がれているのです。

GORDONチェアは、その中でも特に美しいバランス感を持つ一脚として知られており、クラシックとモダンの境界を軽やかに行き来するような佇まいが、多くの建築家やインテリアデザイナーから支持されてきました。

一脚との出会い

この椅子と出会ったのは、私自身が待合室にふさわしい椅子を探し求めていた時のことです。表参道や青山のインテリアショップを何軒も回り、数え切れないほどの椅子に座ってみました。けれど、どれも何かが違う。デザインは美しくても座り心地がしっくりこない、あるいは座り心地は良くても空間に合わない。そんな日々が続いていました。

最後に辿り着いたのが、外苑前にある「カッシーナ」。そこで初めてGORDONチェアに腰を下ろした瞬間、私は衝撃を受けました。「これだ」と。探し求めていた座り心地と佇まいが、すべてそこにありました。

過剰な柔らかさではなく、身体をしっかりと支えてくれる安定感。背筋が自然に伸びる心地よさ。そして、空間に静かに溶け込みながらも、確かな存在感を放つデザイン。その場で待合室に置くことを決めたのは、理屈ではなく、身体が教えてくれた答えでした。

フィリップ・ユーレルが信じた「シンプルであることは、複雑であること以上の存在感をもつ」という言葉の意味を、私はこの椅子を通して理解したように思います。

 過剰な装飾を排し、静けさを纏う造形

GORDONチェアの最大の特徴は、無駄を削ぎ落としたシルエットの中に宿る、柔らかな緊張感にあります。

背もたれやアーム部分のラインは、とても滑らか。けれど、よく見るとわずかな角度の変化や、光と影の濃淡によって、構造的な美しさが際立つように設計されています。椅子として強く主張することなく、そこに在るだけで空間全体が引き締まるような存在感。それは、余白そのものに価値を見出す日本の美意識と、どこか共鳴するものがあります。

静かでありながら、芯のある表情。派手さはないけれど、心に残る佇まい。私がこの椅子に惹かれた理由のひとつが、この「控えめな強さ」でした。

フィリップ・ユーレルが1970年に実現した、18世紀や19世紀の装飾的なスタイルからの脱却。それは、過剰な装飾を削ぎ落とし、本質的な美しさを追求する試みでした。「一層磨きのかかったシンプルなライン」は、まさにこのGORDONチェアに体現されています。

クラシックな家具の伝統を受け継ぎながらも、現代の生活空間に自然に寄り添う洗練されたフォルム。それは、時代を超えて愛される普遍的な美しさを持っています。

脚部には、上質な木材が使用されています。丁寧に研磨された木目は、触れたときにわずかな温もりを感じるほど滑らか。金属的な冷たさではなく、自然素材ならではの柔らかさを、空間全体に静かに拡げてくれます。

木のことを知り尽くし、何よりも木を愛したフィリップ・ユーレルのこだわり。材種選びから丁寧に向き合い、それぞれの良さを存分に引き出すという姿勢は、この椅子の脚部からも伝わってきます。

木という素材は、時間とともに少しずつ色が深まり、使う人の手の温度を覚えていくような変化を見せます。GORDONチェアの脚部も、待合室で何百人もの方をお迎えする中で、少しずつその表情を変えていくはずです。それは経年劣化ではなく、時間と共に育つ美しさだと、私は考えています。

「座る」という体験を支える、目に見えない部分

椅子の美しさは、見た目だけでは語れません。座り心地という、触覚や姿勢を通して感じる部分にこそ、本当の価値があります。

GORDONチェアの座面とクッション部には、高密度のウレタンフォーム等が用いられています。座った瞬間、ふわりと沈み込むような柔らかさではなく、程よい張りと安定感があることに気づかれるでしょう。この「沈み込みの浅さ」が、実は大切なポイントです。

背筋が自然に伸び、骨盤が正しい位置に収まるような心地よさ。長時間座っても身体への負担が少なく、姿勢が崩れにくい。ふんわりと包み込まれる優しさとは少し違う、「支えられている感覚」があります。

歯科医院の待合室で過ごす時間は、どうしても緊張を伴うことがあります。初めての治療の前、大切な審美治療を控えた朝、あるいは長年悩んできた歯のことを相談する勇気を出した日。そんな時、この「支えられている感覚」が、緊張をさりげなく受け止め、呼吸を整える手助けとなってくれることを願っています。

椅子に身を委ねた時、ほんの少し深く息が吸える。肩の力が、ふっと抜ける。そんな数分間が、治療への第一歩として、とても大切なのではないかと、私は考えています。

フィリップ・ユーレルが追求した「シンプルでオーセンティックな美しさ」は、座り心地という目に見えない部分にも息づいています。装飾的な柔らかさではなく、本質的な心地よさ。それこそが、この椅子が持つ真の贅沢なのだと思います。

「静けさと透明感」を表現する家具

GORDONチェアは、当院の待合室に自然な形で溶け込み、空間全体の色温度と心理的な温度感の調和を図る要素として配置されています。強い視覚的なアピールを持つ家具ではなく、「視界に入るたびに、少しだけ安心するような存在」。そのニュートラルで静かな魅力は、いわゆる高級インテリアとは少し異なります。

派手さや豪華さで目を引くのではなく、控えめな贅沢として空間に寄り添う。その在り方が、私たちの考える審美歯科の姿勢と重なりました。

当院では、見た目だけの演出ではなく、本当に心地よいもの、長く愛せるものを選びたいと考えました。GORDONチェアは、その答えのひとつです。

なぜ審美歯科の待合に、この椅子なのか

美容や審美治療を目的として来院される方にとって、診療前の時間は特に繊細なものです。

本来の笑顔を取り戻したいという想い。ずっと気になっていた歯の色や形を、ようやく相談しようと決めた朝。その一歩を踏み出す直前の、期待と不安が入り混じった気持ち。

GORDONチェアは、そうした感情に寄り添いながらも、どこか前向きな姿勢へと自然に導くよう設計されているように感じます。

  • 過剰に柔らかすぎない座面 ふわふわと心が浮つくのではなく、内面を落ち着かせ、整える
  • 低すぎず高すぎない背もたれ 自然な姿勢を保ち、呼吸が深くなる
  • 視界を遮らないライン 空間の開放感を守り、圧迫感を与えない
  • 静穏な色と素材 自分自身との対話を、そっと促す

私たちは、この一脚が持つ整える力を信じて、待合空間に選定しました。

治療室で行われることは、歯や口元の形を整えること。けれど、その前の時間で心が整うことも、同じくらい大切ではないかと思うのです。

フィリップ・ユーレルが信じた「美が存在すれば、様々な可能性を自由に試すことができる」という言葉は、審美歯科の理念にも通じるものがあります。美しさとは、何かを足すことではなく、本来あるべき姿を引き出すこと。その哲学が、この椅子と私たちの診療を結びつけています。

歴史と職人技 ― フランス家具のエスプリ

PHILIPPE HUREL社の家具は、一脚ごとに熟練した職人が木材を選び、組み上げ、表面を仕上げるプロセスを大切にしています。

1911年のモーリス・グージェによる創業以来、商業用家具を丁寧に作り上げてきた職人の技術。それは、ピエール・ユーレルによる近代化を経て、フィリップ・ユーレルの時代に新たな美意識と融合しました。

大量生産ではなく、素材と人の手の調和によって完成されるため、同じモデルであってもわずかな表情の違いが生まれることがあります。木目の出方、色の濃淡、触れた時の手触り。それらは、ひとつとして同じものがありません。

この「個体差を美と捉える姿勢」は、人工的に完璧を追求するのではなく、素材や環境との調和によって生まれる自然な美しさに価値を置く、審美歯科の考え方にも通じるものがあります。

歯は、どれだけ精密に治療しても、機械で作った工業製品のように完全に均一にはなりません。むしろ、その方の骨格や表情筋の動き、話し方や笑い方に調和するような、自然なバランスこそが美しい。

GORDONチェアが持つ「手仕事ならではのゆらぎ」と、私たちが目指す「自然な美しさ」。そこに共通する美意識があると、私は感じています。

フィリップ・ユーレルが木を愛し、材種選びからこだわり、それぞれの良さを存分に引き出してきた姿勢。それは、私たちが患者さま一人ひとりの個性を大切にし、その方らしい笑顔を引き出そうとする姿勢と重なります。

そして今、フィリップの息子であるマキシム・ユーレルが経営を引き継ぎ、その理念を次の世代へと繋いでいます。百年を超える歴史の中で培われた職人技と美意識が、これからも途切れることなく受け継がれていくのです。

患者さまが感じる、体験としての価値

実際にGORDONチェアに座られた患者さまから、こんなお声をいただくことがあります。

「少し深く息が吸える気がする」
「ここに座っていると、気持ちが整う」
「なんとなく姿勢がよくなる」
「緊張していたけれど、椅子に座ったら落ち着いた」

興味深いのは、椅子そのものに対する具体的な言葉よりも、「感じ方」「印象」「心の動き」に関するものが多いことです。

おそらく、多くの方は「この椅子はフランスの老舗ブランドのもので…」という情報を知りたいわけではないのでしょう。それよりも、座った時に感じる安心感や、自然と背筋が伸びる心地よさといった、身体を通した体験こそが大切なのだと思います。

椅子に座るというシンプルな行為の中で、ほんの数分間、その方にとっての”整える時間”を提供すること。それがGORDONチェアの、本当の役割なのだと、私は考えています。

「シンプルであることは、複雑であること以上の存在感をもつ」というフィリップ・ユーレルの信条は、患者さまの体験を通して、静かに証明されているのかもしれません。

待合室という場所が持つ意味

最後に、少しだけ待合室という空間について、お話しさせてください。

歯科医院の待合室は、ともすれば「ただ順番を待つだけの場所」になりがちです。けれど私は、この時間にもっと深い意味があると考えています。

診療室に入る前の数分間は、これから始まる治療に向けて心を準備する時間。日常の喧騒から離れ、自分自身の身体と向き合う時間。そして、長年抱えてきた悩みを手放し、新しい笑顔へと踏み出すための、静かな決意を固める時間でもあります。

そんな大切な時間を過ごす場所だからこそ、一脚の椅子にまで心を配りたい。素材や色、座り心地や佇まいのすべてが、患者さまの心を少しでも軽くし、前向きな気持ちを支えられるものであってほしい。

GORDONチェアは、その想いを形にしてくれた存在です。

フィリップ・ユーレルがアメリカで学んだ「クリエイティブな分野における自由な創造の大切さ」。その精神は、私たちが審美歯科として患者さまの笑顔を創造する時の姿勢にも通じています。既成概念にとらわれず、その方にとって本当に美しい笑顔とは何かを、自由に探求する。そんな創造的な治療を、私は目指しています。

まとめ

GORDONチェアは、PHILIPPE HUREL(フィリップ・ユーレル)というブランドが擁する、伝統木工技術とモダンデザインが融合した一脚です。

このブランドの歴史は1911年、モーリス・グージェがフランスのクーロンヌで家具工房を設立したことに始まります。1948年に娘婿のピエール・ユーレルが事業を引き継ぎ近代化し、1970年にその息子であるフィリップ・ユーレルが経営を引き継ぎました。

フィリップ・ユーレルは、18世紀や19世紀のスタイルから脱却し、現代的な家具デザインへと路線を変更。「美が存在すれば、様々な可能性を自由に試すことができる。シンプルであることは、複雑であること以上の存在感をもつ」という信条のもと、クラシックな家具の伝統を受け継ぎながら、現代の生活空間にふさわしい洗練されたフォルムの家具を生み出しました。

木のことを知り尽くし、何よりも木を愛した彼が材種選びからこだわり、それぞれの良さを存分に引き出してきた理念は、現在フィリップの息子であるマキシム・ユーレルに受け継がれ、新たなデザインを生み出し続けています。

装飾を抑えたミニマルな造形と、厳選された素材によって、静けさと上質感を空間にもたらします。座り心地は柔らかすぎず、自然な姿勢と深い呼吸を促し、患者さまの内面を整えるような安定性があります。

診療前の一時的な時間を、ただ待つだけの時間ではなく、”心と身体を整えるための時間”へと変える役割を担っています。

待合室で過ごすわずかな時間が、治療への第一歩となりますように。

椅子は語りませんが、その静けさの中にある心地よさが、そっと背中を押してくれることを願っています。