院長 田中良一

東京医科歯科大学(現 東京科学大学)歯学部卒業
元 山王病院歯科医長
一冊の本。
私の臨床のルーツは、1990年代に出会った一冊の医学書にあります。
Pameijer
かぶせ物の治療を、「咬合(噛み合わせ)」と「歯周組織」というふたつの強固な基盤から論じた、古典的な名著です。
そこには、被せ物を独立したパーツではなく、口腔全体の機能の重要な一部として捉える思想が示されていました。
咬合と歯周という基礎を整えた上で、その先に修復を置く。当院がいまも貫いている診療方針は、この一冊との出会いから、始まっています。
介入は、もう二度と「介入しなくてよい状態」のために。
また削られるのではないか。これ以上、歯を失うのではないか。やり直しを考えて来られた方の、いちばん深いところに、その不安があることを、私は知っています。
歯科治療とは、患者様のお口という生きた身体へ、人の手によって介入する行為です。では、その介入は、何のために行うべきなのか。
臨床のなかで、私が繰り返し目にしてきたのは、ひとつの介入が、また新たな介入を生む、終わりのない循環でした。装着した直後はきれいに見えた歯も、五年、十年と経つうちに、再治療を必要とし、同じ歯が、何度も削られていく。その姿を診るたびに、私のなかで、ひとつの答えが定まっていきました。
介入は、もう二度と介入しなくてよい状態のために行うものだ、と。歳月が流れても、できるだけ、再び治療の椅子に座らずにすむこと。同じ歯の治療を、何度も繰り返さずにすむこと。それを、目指しています。これが、私の最も大切にしている臨床の原則です。
セラミストの仕事
私の臨床の、もうひとつの転機は、ヴィリー・ゲラー(Willi Geller)氏の存在を知ったことでした。当院の修復を託しているのは、ゲラー氏が創設したセラミストグループ「 oral design」のメンバーである、世界でもごく限られたセラミスト(歯科技工士)です。
ゲラー氏の仕事は、歯科技工の技術を超えた、ひとつの臨床哲学です。その核にあるのは、職人の尊厳と、自然への敬意だと、私は受け取っています。
ゲラー氏は、整いとは、白さや左右の対称といった、幾何学のような完成度にあるのではなく、健やかさ、生命感、そして、その人自身との響き合いに宿る、と考えました。私が感銘を受けたのは、この見方です。調和こそが、決定的である。
歯科治療は、人の手が加える仕事です。だからこそ、その手仕事は、自らを主張するためではなく、退いて、その方を現すために尽くされるべきだと、考えています。あなたの歯の、固有の色、形、内部の構造、光の通り方を読み取り、性質の違う陶材を、一層ずつ重ねていく。その手間のすべては、つくったものが静かに消えて、あなたご自身が現れている、その一点のために、あります。
歯は、関係性の中で初めて「あなたの歯」になる。
年月のなかで、静かに定まってきた認識があります。
歯は、単体としては存在しません。顔立ちのなか、口元のなか、表情のなか、そしてその方の人生のなかにあって、はじめて、その人の歯になります。
だから私は、歯を、「症例」としてだけ扱うことはしません。
あなたの顔立ち、人柄、人生。そのすべてのなかで、歯がどうあるべきかを、ご一緒に考えます。技術の精度は、そのための手段に、すぎません。
私の目指すところ
治療が終わったとき、私の仕事は、あなたのお口の中から静かに消えていることが理想です。そこに残るのは、治した痕跡ではなく、あなたご自身の健やかな口元だけ。鏡を見ても、どれを治したのか、ご自身でも思い出さない。私が目指すのは、その状態です。
咬合という機能、それを支える歯周組織の健康、そして見た目の調和。この三つを、ひとつの心地よい営みとして結実させ、長く健やかに保つこと。それを、これからも考え続けてまいります。

