
Written by 田中良一 表参道歯科アールズクリニック院長
この記事は、初めて提示された口元を、患者本人が自分のものとして選ぶとは何かを考察した臨床論考です。前歯のセラミック修復を念頭に、色調や形態を好ましいと評価することと、その口元を自分のものとして受け入れることの違いを検討します。『否定の形式としての審美修復』『再認識としての審美修復』『希望を入口とする審美修復』を踏まえ、「受容」と「再認識」の関係、作り手が提案した口元について本人が何を認め、何を選んでいるのかを論じます。
抄録
『希望を入口とする審美修復』は、患者の希望を具体的な口元として示すときにも作り手の解釈が介在し、希望の実現だけでは本人への帰属を確定できないとした。本稿は、初めて提示された口元を、既知の自己像との一致を前提とせず、自分のものとして選ぶとは何かを問う。検討するのは色調と形態の双方であり、本人が選ぶ対象は、それらを備えた自分の顔の中の口元である。中心命題は二つである。色調や形態を好ましいと評価することと、その口元を自分のものとして選ぶことは、判断の内容が異なる。また、作り手の提案に始まった色調や形態であっても、その由来だけで本人の選択から排除されることはない。本稿では、提示された口元を自分の顔との関係において確かめ、自分の口元として採る判断を、受容と呼ぶ。受容と、既知の自己像を認め直す再認識は重なりうるが、同義でも、順に進む段階でもない。あわせて、目標とした色調や形態の実現、本人の受容、治療後の暮らしにおける受け止めを区別し、生物学的・機能的・技術的な評価は別に要することを述べる。本稿は前三稿の臨床的な区別を引き継ぐ概念上の検討である。
一.三稿の到達点と残る問い
『否定の形式としての審美修復』(以下、『否定の形式』)は、人工物としての違和感を退けた後ろに、作り手が別の規格を置くことを問題とした。『再認識としての審美修復』(以下、『再認識』)は、いまの口元を自分として認める働きは、本人にしか行えないと論じた。『希望を入口とする審美修復』(以下、『希望』)は、患者の希望を色調や形態として具体化するときにも作り手の解釈が介在することを示し、その解釈どおりに作れたことを完成の十分条件にしなかった (1)(2)(3)。
『再認識』第七章「連続と変化」と第八章「限界と留保」の第六の留保を踏まえ、本稿では、過去の姿との一致を再認識の条件とせず、初めて得る口元について二つの場合を区別する。実際には持ったことがなくても、提示された口元に、本人が以前から自分の顔として知っていたあり方を認めるなら、再認識に位置づけうる。他方、具体的な口元を初めて見て、これからの自分のものとして選ぶ場合を、同じ意味で再認識と呼べるかは、別の検討に残される (2)。本稿は、この問いを扱う。
初めて提示された口元を見ること自体は、問いの核心ではない。既に思い描いていた色調や形態が現れ、そこに自分の顔を認める場合も、初めて見るという点では同じだからである。本稿が検討するのは、本人がすでに知っている自己像との一致を判断の前提に置かず、具体的に示された口元を自分のものとして選ぶ場合である。
この選択をすべて再認識と呼べば、既に知っているものを認め直すという第二稿の意味が曖昧になる。他方、既知の自己像との結び付きが示されていないという理由だけで、その選択を本人に帰属しないものと扱うこともできない。色調や形態を見た本人が、何を自分の口元として採ろうとしているのかを、選ぶという判断の内容から考える必要がある。
二.希望を色調と形態に具体化すること
『希望』は、「仮置きされているのは、患者の希望そのものではなく、作り手が解釈した希望である」と述べた。もっと白くしたい、自然に見えるようにしたい、長さが気になる。こうした希望から、具体的な色調や輪郭、長さを定めるとき、作り手は解釈している。患者が希望を述べたことと、提示される口元の色調や形態を具体的に選んだこととは、同じではない (3)。
希望が具体的に示される場合にも、何についての選択かを確かめる必要がある。患者が色見本を指したなら、その選択は希望する色調を知る手がかりになる。しかし、見本を選ぶことと、その色調で示された自分の口元を選ぶことは、判断の対象が異なる。輪郭や長さの参考を示した場合にも、その特徴を好むことと、自分の口元として採ることは分けて考えられる。
したがって、提示後の確認を、最初の希望が正しく実現されたかという照合だけで捉えることはできない。希望が具体的であったかどうかにかかわらず、本人に示されるのは、その色調と形態を持つ歯が、唇や隣り合う歯とともに見える口元である。修復物の色や輪郭を単独で評価することに加えて、その口元で自分がありたいかという問いが立つ。
第三稿が問うたのは、希望をどのように具体化し、その結果をどこで確かめるかであった。本稿が加えるのは、具体的な口元が示された後、本人が何について判断しているのかという問いである。作り手の解釈が希望に応えていたかという確認と、その口元を自分のものとして採るかという本人の判断を、分けて記述する。
本人は、最初の希望を手がかりに提示された口元を見直すことも、実際の口元を見たうえで希望する色調や形態を具体化し直すこともできる。後者を、当初の希望との不一致だけを理由に退けるなら、作り手は、本人が以前に述べた言葉や選んだ見本を、現在の本人より優先する規格として扱うことになる。
三.色調や形態の評価と自分の口元としての選択
色調や形態を好ましいと評価することと、その口元を自分のものとして選ぶことは、同じ判断ではない。前者では、白さや色合い、輪郭や長さなどの性質を評価できる。後者では、その性質を持つ口元で自分がありたいか、という本人との関係が判断の内容になる。
この違いを考えるために、ある白さや輪郭を美しいと評価しながら、自分の口元には選ばない場合を置く。その二つの判断は矛盾しない。色調や形態に対する肯定的な評価には、その口元を自分が持つことへの肯定までは含まれていないからである。反対に、自分の口元として選んだことから、その色調や形態を、誰にとっても最も美しいものと評価したことにはならない。
目標とした色調や形態が実現されているかという評価も、本人への帰属とは区別する必要がある。目標として具体化した色調や長さが得られているかは、作り手も確かめられる。しかし、その目標を満たしたという評価から、その口元を本人が自分のものとして選んだことまでは導けない。『否定の形式』が退けた、修復物の評価をその人にとっての完成の理由にすることは、色調にも形態にも当てはまる (1)。
この区別は、患者本人が評価する場合にも必要になる。評価する人を作り手から患者へ替えるだけでは、何を評価しているかという問いは残る。患者自身が白さや輪郭を好んだことと、その色調や形態を持つ口元を自分のものとして採ることを、同一視してはならない。
さらに、自分が選んだことと、自分のものとして選んだことも分ける必要がある。前者は、誰が選択したかを述べる。後者は、何としてその口元を選んだかを述べる。複数の候補から一つを選んだという行動だけでは、その判断の内容まで確定しない。処置を進めることへの承諾も、口元を自分のものとして認めることと同義ではない。
本稿では、提示された具体的な口元を、自分の顔との関係において確かめ、自分の口元として採る判断を、受容と呼ぶ。色調と形態は評価の観点として分けられるが、ここで本人が選ぶ対象は、それらを備えた口元である。受容という語は、色調や形態への満足を上回る肯定の強さを表すために置くのではない。何を好ましいと評価しているかと、何を自分のものとして選んでいるかとの違いを、記述するために置く。
この意味での受容は、望まない結果を作り手の都合で認めさせることを含まない。一方、制約を考慮して色調や形態を選んだという理由だけで、本人の受容を否定することもできない。得られる選択肢の中で何を採るかを本人が判断することと、作り手が決めた結果への追認を求めることは異なる。受容を、何の留保もない完全な満足として定めるなら、それもまた患者に求める規格になる。
四.受容と再認識
『再認識』が記述したのは、いまの口元と、本人がすでに自分として知っている顔とが結び付く出来事である。本稿の受容が記述するのは、具体的な色調と形態を持つ口元を、本人が自分のものとして採る判断である。既知のあり方を認め直すことと、提示された口元を選ぶことは、異なる問いに答えている (2)。
二つの問いは、同じ口元について重なりうる。提示された口元に、以前から自分の顔として知っていたあり方を認め、その口元を選ぶなら、再認識と受容は重なって記述される。その色調や形態を実際に持ったことがなくても、本人が以前から自分の顔として思い描いていたあり方との結び付きは、検討できる。ここに、再認識と受容が必ず順番に起こるという主張はない。
他方、以前と色調や形態が異なるという事実だけでは、再認識の不成立は決まらない。望んだ白さや輪郭が実現したことだけでも、その成立は決まらない。物理的な特徴の一致や変化と、本人が既知の自己像を認め直すこととは、異なる問題である。受容についても、過去の色調や形態との一致を、本人の選択を認めるための条件にする必要はない。
既知の自己像との結び付きについて判断を保留していても、本人が何を自分の口元として採ろうとしているかを問うことはできる。本稿が受容という語を用いるのは、その判断を、あらかじめ再認識として説明しないためである。受容が述べられたことから、再認識が起きていないと断定することもできない。
現在の口元を自分の顔として認めていることと、その色調や形態を今後も変えずに保ちたいことも、同義ではない。自分の口元として認めながら、色を明るくしたい、輪郭を変えたいと望むことは、この二つの判断の区別に反しない。本人が自分として認めることだけから、何を残し、何を変えたいかまでは決まらない。
したがって、受容を再認識の次の段階に置いたり、再認識が足りない場合の代替物としたりする必要はない。本人が新たに示された口元を選んだときにも、作り手が、そこに潜んでいた本来の顔が現れたと説明する必要はない。選択が本人のものであるために、その口元が提示前から本人の内に完成していなければならないという条件は、前三稿からは導かれない。
五.色調や形態の提案と本人の選択
具体的な色調や形態の提案には、作り手の解釈が含まれる。それならば、提案された口元を本人が選ぶことも、作り手の規格を受け入れることになるのだろうか。
ここでは、提案の由来と、本人が何を自分のものとして選ぶかを分ける必要がある。作り手が色調や形態を提案したという事実は、具体的な提案を誰が行ったかを示す。それだけでは、その口元を本人が自分のものとして認めたかどうかは決まらない。本人への帰属に、色調や形態のすべてを本人があらかじめ発案していることを求めれば、作り手の解釈を含む提案を本人が選ぶという、第三稿が残した道筋を閉じることになる (3)。
作り手は、希望と診査を踏まえ、なぜその色調や形態を提案するのかを説明できる。周囲の歯との色の関係や、唇から見える輪郭についての説明は、本人が判断するための材料になる。しかし、作り手が提案した理由と、本人がその口元を採る理由とが、すべて一致している必要はない。製作上の意図を理解したことと、その口元を自分のものとして選ぶことは、別の判断だからである。
提案を本人の前で確かめることに意味があるのは、本人の応答によって、色調や形態を含む提案を見直しうるからである。作り手が完成を決めた後で、本人の承諾だけを得ようとするなら、確かめられているのは提案の適否ではなく、決定への追認になってしまう。第三稿の「仮置き」は、作り手の解釈を本人の応答に照らして見直す、という含みを持つ。
その際には、本人が何を肯定し、どこに留保を置いているのかを確かめる必要がある。色調を好ましいと評価していることから、形態への肯定や口元全体の受容までは推定できない。形態への肯定から、色調も含めて受け入れられたと決めることもできない。色調と形態について分けて尋ねることはできるが、それぞれへの応答を集めただけで、自分の口元として選ぶ判断を代行できるわけではない。
本人の応答を記述するときにも、作り手自身の解釈との区別が要る。色調や形態への肯定を、作り手が期待した「本当の自分の発見」という物語へ置き換えるなら、本人の判定を代行したことになる。本人がどのような口元を採ろうとしているかは、その応答に即して記述する必要がある。
作り手の提案に始まった色調や形態であっても、その由来だけで本人の選択から排除されることはない。同時に、本人がその口元を選んだことを理由として、作り手の意図が本人の自己理解と一致したと結論することもできない。本稿が第三稿に加えるのは、提案を作る行為と、その口元を自分のものとして採る判断との、この区別である。
六.選択の時点とその後の暮らし
初めて提示された口元を、これからの自分のものとして選ぶことには、将来への向きがある。ただし、選択するのは現在の本人である。そこで示されるのは、その色調や形態の口元でありたいという現在の判断であって、その後のすべての経験についての確定ではない。
ある白さや輪郭を持つ口元を選んだことから、以後は違和感を持たず、歯を意識せずに暮らせるとまでは導けない。本人がこれからの口元として選んだことと、その口元で実際に暮らしてどう受け止めるかは、区別しておく必要がある。後に受け止めが変わったとしても、それだけで初めの選択が本人のものではなかったことにはならない。
また、後になって、その口元を見慣れた自分の顔として認めるようになったとしても、最初に選んだ時点で既知の自己像との結び付きがあった証明にはならない。後の経験をもって、初めの選択を遡って再認識と定義し直す必要はない。初めの選択と、その後の認め方は、それぞれの時点の出来事として扱うべきである。
逆に、いまは白さや輪郭に違和感があっても、時間がたてば見慣れるはずだという作り手の予測を、現在の本人の応答に優先させることもできない。将来その色調や形態が見慣れたものになるという予測から、現在の本人がその口元を自分のものとして採ると判断したことは導けない。
本人が何を選んだかを確かめることと、その後を本人の責任にすることも異なる。本人の選択によって、作り手の生物学的・機能的・技術的な評価が不要になることはなく、後に述べられる不具合や違和感を、選択済みという理由だけで退けることもできない。本人の評価と医療上の評価を分けるという第二稿の原則は、色調や形態を含む受容を論じる場合にも維持される (2)。
七.限界と留保
本稿の受容は、患者の心理を分類し、測定するために導入した概念ではない。色調や形態を好むこと、自分の口元として採ること、既知の自己像を認め直すことを区別するための記述語である。その区別によって、自己像が実際にどのように変化するかを説明したことにはならない。
また、受容という語で患者を判定する新たな基準を作るものでもない。本人が特定の言葉を述べれば受容が成立し、述べなければ成立しない、という判定は本稿から導かれない。検討するのは本人の判断の内容であり、医院の用語に合わせた応答ではない。色調と形態への評価を分けて記述したことも、受容を別々の段階に分けることを意味しない。
第二稿で再認識として記述した治療の終わりを、受容という言葉で一律に置き換えることも、本稿の結論ではない。ここで明らかにしたのは、具体的な色調と形態を持つ口元についての本人の選択を、既知の自己像との一致だけでは説明し尽くせないという点である。治療の完成に関する判断全体は、この概念上の区別だけでは定まらない。
八.結び
初めて提示された口元を、自分のものとして選ぶとは何か。本稿は、色調や形態を好ましいと評価することと、それらを備えた口元を自分のものとして採ることを分け、後者を受容として記述した。本人が判断するのは、修復物単体の色や輪郭の良さに加えて、その口元で自分がありたいかということである。
この判断が、既に自分として知っているあり方の認め直しと重なる場合には、再認識としても記述できる。他方、既知の自己像との結び付きを前提に置かなくても、本人が何を自分の口元として採ろうとしているかを検討することはできる。過去の色調や形態との一致だけでは、本人がその口元を選ぶかどうかは決まらない。
また、色調や形態が作り手の提案に始まったことは、その口元が本人の選択になりえない理由にはならない。作り手は、本人の希望を解釈して具体的な口元を提案する。本人は、その口元を自分の顔において確かめ、採るかどうかを判断する。色調や形態を具体化する仕事と、自分の口元として選ぶ判断とを分けることで、作り手の仕事を認めながら、本人の判定を本人に残すことができる。
『希望』は、具体的な口元が示される前の望みを、完成の十分条件にしなかった。本稿は、提示された後の選択にも、同じ限定を保つ。選択したという事実だけでは、その判断の内容も、医療上の成立も、その後の暮らしも確定しない。受容を論じる意味は、本人がどのような色調や形態の口元を自分のものとして採ろうとしているかを、作り手の解釈で置き換えずに確かめることにある。
注
- 『否定の形式としての審美修復』、第三章から第六章。人工物としての違和感の否定、代替の規格を置くことへの批判、修復物単体の評価とその人との関係の区別を参照した。本稿は前三稿の臨床的な立場を引き継ぐ概念上の検討である。
- 『再認識としての審美修復』、第四章、第六章から第八章。第七章「連続と変化」は、再認識を過去の姿との一致に限定せず、過去の形を再現しても、その成立が保証されるわけではないことを述べている。第八章「限界と留保」の第六の留保は、それまで持ったことのない口元の受け止めを再認識と呼べるかという問いを残し、その形を好ましいと思うことや満足することだけでは再認識とはいえないとしている。本稿は、これらの議論を踏まえ、既知の自己像を認め直す場合と、初めて見た具体的な形をこれからの自分のものとして選ぶ場合とを区別して検討する。本文の再認識の定義は、同稿が臨床的な記述のために借りた範囲で用いる。
- 『希望を入口とする審美修復』、第三章から第六章、第十章。希望の由来と本人への帰属の区別、患者の言葉を形にする際の作り手の解釈、希望の実現と再認識の区別を参照した。本文第二章の直接引用は『希望』第五章による。

執筆者
田中良一
表参道歯科アールズクリニック院長
東京医科歯科大学(現 東京科学大学)卒業、山王病院歯科医長(審美歯科・歯周補綴担当)を経て開業。審美修復をはじめ、歯周病やインプラント分野でも国内外で研鑽を積み、知識と技術を培ってきました。歯や歯ぐきの健康、かみ合わせを確かめながら、修復した歯が顔立ちや表情になじみ、ご本人が自分の口元として感じられることを大切にしています。
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