
Written by 田中良一 表参道歯科アールズクリニック院長
「無痛治療」はよく目にされる言葉だと思いますが、「無痛修復」は「痛くない治療」を指す言葉ではありません。東京医科歯科大学の総山孝雄教授が提唱した、むし歯で感覚を失った部分だけを取り除き、残した歯に材料を接着して修復する方法の名称です。感覚のある組織を削らずに残すことで、痛みを伴わずに修復するという考え方が、1979年の著書『無痛修復』にまとめられています [1][2][3]。
この方法では、むし歯を取り除く範囲と、その後に歯を修復する方法が結びついています。感染した部分を痛みなく除去できても、詰め物を固定するために感覚のある組織を削れば、その段階で痛みが生じる可能性があるからです。総山教授は、保存できる歯の組織を見分けることと、保存した組織を生かして修復することを、一つの治療として考えました [1][3]。
むし歯になった象牙質の二つの層
歯の表面を覆うエナメル質の内側には、象牙質という組織があります。むし歯が象牙質まで進むと、ミネラルが失われて軟らかくなります。しかし、軟らかくなった部分のすべてが、同じ程度に損傷しているわけではありません。総山教授らは、むし歯になった象牙質の性質を調べ、取り除くべき外側の層と、保存できる内側の層を区別しました [2][5]。
象牙質には、カルシウムなどを含む無機成分と、コラーゲンを中心とする有機成分が含まれています。コラーゲンはたんぱく質の線維で、ミネラルの沈着に関わる組織の構造を形作っています。むし歯による変化を考えるときには、ミネラルがどれだけ失われたかに加え、コラーゲンがどのような状態にあるかも関係します [5]。
総山教授らの研究では、外側の感染層にあるコラーゲンは、分子同士をつなぐ結合が著しく減少し、元に戻りにくい変化を起こしていると解釈されました。一方、内側の層では、コラーゲンにも変化があるものの、条件が整えば回復する可能性があると考えられました。外側と内側を分けたのは、場所が違うからだけでなく、組織を保存した場合に回復を見込めるかどうかが異なるためです [5]。
失われたミネラルが歯の組織に再び取り込まれることを、再石灰化といいます。総山教授は、外側の層を、細菌に感染し、再石灰化できなくなった象牙質として説明し、その内側には、感染がなく、再石灰化の可能性が残る象牙質があると述べています。内側の層は、むし歯の影響を受けていても、保存する意味のある組織だったのです [2]。
残した層が実際に再石灰化するかも研究されています。総山教授らがヒトの歯を用いて行った研究では、染色される外側の層を取り除いたあと、内側の層を残してセメントで修復しました。3か月後に調べた歯では、処置直後に調べた比較対象の歯に比べて、残された層のカルシウム量と硬さが増加し、内側から正常な値に近づく変化が報告されています。内側の層を保存する判断を支える研究の一つです [6]。
二つの層では、感覚にも違いがあります。総山教授は、外側の感染層では感覚が失われているのに対し、保存できる内側の層には感覚が残っていると説明しました。切削を外側の層にとどめれば、回復が見込める象牙質を残しながら、痛みを伴わずにむし歯を取り除けると考えたのです [2][3]。
したがって、総山教授の方法では、感染層を除去したあとに軟らかい象牙質が残っていることと、除去すべき部分が残っていることは同じではありません。健全な象牙質と同じ硬さになるまで一律に削れば、保存できる層にも切削が及びます。どの組織を残せるかという判断が、どこで切削を終え、痛みを避けるかという判断につながっていました [2][3]。
感染層を見分けて切削範囲を決める方法
二つの層の違いが分かっても、実際の治療中に境界を判断できなければ、感染層だけを取り除くことはできません。むし歯になった象牙質の硬さや自然の着色は連続的に変化し、細菌の侵入範囲とも一致するとは限りません。そこで総山教授らは、組織の染まり方の違いを利用して、除去する層と残す層を見分ける方法を研究しました [7][9]。
この目的で用いられたのが、う蝕検知液です。むし歯によって変化した象牙質が色素に染まる性質を利用し、染色の残り方を観察します。染色の実験では、コラーゲンなどからなる象牙質の基質を乳酸で処理すると、染まり方が変わることが示されています。検知液では、細菌そのものの位置を直接見ているのではなく、組織の状態に応じた染まり方を、切削範囲を判断する目安にしています [8]。
総山教授は、検知液を塗って洗い流したあとに残った染色を目安として、感染層を除去する方法を示しました。検知液がしみ込む深さには限りがあるため、表面を取り除いたあとも染色と観察を繰り返し、削っている組織の状態を確かめます。色の違いを利用することで、組織の性質に基づく二層の区別を、治療中の切削範囲の判断に反映しようとしたのです [9]。
開発時の研究でも、染まる範囲と細菌が侵入している範囲が完全に重なるわけではないことは示されていました。むし歯の状態によって、染色が細菌の侵入より深い場合も、浅い場合も観察されています。そのため、検知液を「細菌が存在する範囲だけを染める液」と理解することはできません。象牙質の染まり方を、取り除く層と保存する層を見分ける手がかりとして用いる方法でした [7]。
感染層の除去と接着による修復
必要になるのは、欠けた部分に材料を入れることと、噛む力が加わっても詰め物が外れないように固定することです。むし歯を除去した結果できた形が、そのまま修復物を保持しやすい形になっているとは限りません。
歯に十分に接着しない材料を使う場合には、詰め物が外れる方向に動きにくくなる形を歯に作り、修復物を保持します。このように、歯と修復物の形を利用して外れにくくする方法を、機械的維持といいます。機械的維持を得るための切削には、むし歯を取り除く切削とは別の目的があります。感染しているかどうかにかかわらず、詰め物を固定するために必要な形まで歯を整えることになります [1][3]。
そのため、感染層を痛みなく取り除けても、続いて修復物の保持に必要な形を作る際に、感覚のある象牙質を削れば、痛みが生じる可能性があります。保存できる層を見分ける研究だけでは、その層を最後まで残して治療することには結びつきません。残した象牙質をさらに削る必要の少ない、別の固定方法が必要でした [1][3]。
総山教授が組み合わせたのは、歯と材料を接着して修復物を保持する方法です。材料を歯の表面に接合させることで固定できれば、機械的維持を得るために歯の形を整える必要を減らせます。感染層を取り除いたあとに残る歯の形を、修復に生かしやすくなるということです [1][3][9]。
『無痛修復』で用いられた接着性修復材料が、「クリアフィル・ボンド・システムF」です。総山教授は、う蝕検知液を使って除去する範囲を見分け、残した歯に接着する材料で修復する方法を示しました。検知液が、どこまで削るかを判断するための手段であるのに対し、接着材料は、残すと判断した歯を実際に残して修復するための手段でした [1][9]。
総山教授は、感染層を取り除いたあとの歯に、接着のための表面処理を施し、レジンを充填する方法を示しました。この修復で用いるレジンは、樹脂を用いた修復材料で、残った歯の形に合わせて詰め、硬化させます。修復物を固定するための形を歯に作ることから、残った歯の表面に材料を接着させることへと、保持の方法を変えています [9]。
歯を削る量は、むし歯の大きさや深さだけで決まるものではありません。どの材料で、どのように修復物を固定するかによっても変わります。残せる組織を見分けることと、残した状態で修復を成立させることの両方がそろって、歯質の保存につながります。
「無痛修復」の「無痛」は、この切削と修復の関係の中にあります。感覚のない感染層だけを除去しても、修復の際に感覚のある象牙質を削るのであれば、治療全体を痛みなく進められるとは限りません。感染層の除去から修復物の保持までを一緒に考えたところに、総山教授の治療法の特徴があります [1][2][3]。
現在のう蝕治療で考える保存の範囲
歯の組織をできるだけ保存する考え方は、現在のむし歯治療でも重視されています。一方、現在の選択的なむし歯の除去を、総山教授が示した「感染層を取り除き、その内側を残す方法」と同一に考えることはできません。深いむし歯では、細菌を含む象牙質の一部を残すこともあるためです [4][10]。
歯の内部には、神経や血管を含む歯髄があります。むし歯が歯髄に近づいている場合に、軟らかくなった象牙質をすべて取り除こうとすると、歯髄を覆う組織がなくなり、歯髄が露出するおそれがあります。歯を保存するためには、むし歯の除去だけでなく、歯髄への影響も考える必要があります [4]。
2026年に公表された診療ガイドラインでは、永久歯の深いう蝕について、症状がない場合や、回復が見込める歯髄の炎症(可逆性歯髄炎)に相当する症状がある場合に、選択的な除去が提案されています。歯髄に近い部分では軟らかい象牙質を残し、周辺では硬い象牙質が残るところまで除去して、修復物で内部を封鎖する方法です [4]。
歯髄に近い部分と、周辺の部分で除去する範囲を変えるのは、それぞれに必要な条件が異なるからです。歯髄側では、軟らかい象牙質を残すことで、削り進めて歯髄を露出させる危険を減らします。周辺では、修復物を保持して内部を封鎖できるよう、硬い歯質を確保します。軟らかい部分を残す判断と、修復物による封鎖を成立させる判断は、組み合わせて考えます [4][10]。
歯髄に近い象牙質に細菌が残っていても、修復物で病変を口の中から隔てれば、細菌が利用する食べ物由来の糖質の供給を制限できます。細菌の活動を抑える条件を整え、病変の進行を止めることを目指すため、残す範囲の判断には、修復物で内部を封鎖し、その状態を維持できることが関わります [10][11]。
このように、現在の治療では、感染した象牙質をすべて取り切ったかどうかだけで、除去する範囲を決めているわけではありません。むし歯の深さ、歯髄の状態、修復物で封鎖できる条件を合わせて判断します。総山教授の時代の説明と、現在の深いう蝕に対する考え方を区別して読むことで、保存する範囲を決める理由の違いが分かります [4][10]。
「無痛修復」という名称も、あらゆるむし歯を麻酔なしで治療できることを意味してはいません。総山教授が示したのは、保存できる組織を見極め、その組織を残して修復する方法まで一緒に考えることで、痛みを避けながら歯を残そうとする治療のあり方でした。痛みを伴わないという結果の背景には、削る組織の選択と、その選択を可能にする修復方法があったのです [1][2][3]。
参考文献・資料
- 総山孝雄.無痛修復.クインテッセンス出版;1979.
- Fusayama T. New Era in Operative Dentistry: Comprehensive Study on Structure and Removal of Carious Dentin. The Journal of the Stomatological Society, Japan. 1982;49(1):1–17. doi:10.5357/koubyou.49.1.
- Fusayama T. The Problems Preventing Progress in Adhesive Restorative Dentistry. Advances in Dental Research. 1988;2(1):158–163. doi:10.1177/08959374880020011001.
- Schwendicke F, Kosan E, Banerjee A, et al. Deep Caries Management: EFCD-ESE-ORCA S3-Level Clinical Practice Guideline. International Endodontic Journal. 2026;59(7):1298–1315. doi:10.1111/iej.70132.
- 久保木芳徳,大串貫太郎,総山孝雄.ウ蝕象牙質2層のコラーゲン線維の生化学.歯科基礎医学会雑誌.1976;18(2):182–187. doi:10.2330/joralbiosci1965.18.182.
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- Kuboki Y, Liu CF, Fusayama T. Mechanism of differential staining in carious dentin. J Dent Res. 1983;62(6):713–714. doi:10.1177/00220345830620060401.
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- Schwendicke F, Frencken JE, Bjørndal L, et al. Managing Carious Lesions: Consensus Recommendations on Carious Tissue Removal. Adv Dent Res. 2016;28(2):58–67. doi:10.1177/0022034516639271.
- Marggraf T, Ganas P, Paris S, Schwendicke F. Bacterial reduction in sealed caries lesions is strain- and material-specific. Sci Rep. 2018;8:3767. doi:10.1038/s41598-018-21842-8.

執筆者
田中良一
表参道歯科アールズクリニック院長
東京医科歯科大学(現 東京科学大学)卒業、山王病院歯科医長(審美歯科・歯周補綴担当)を経て開業。審美修復をはじめ、歯周病やインプラント分野でも国内外で研鑽を積み、知識と技術を培ってきました。歯や歯ぐきの健康、かみ合わせを確かめながら、修復した歯が顔立ちや表情になじみ、ご本人が自分の口元として感じられることを大切にしています。
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