総義歯補綴学から生まれた審美歯科の源流

Written by 田中良一 表参道歯科アールズクリニック院長

現在の審美歯科では、歯そのものの形や色だけでなく、顔立ちや口唇、表情との関係も考えます。こうした視点の一部は、総義歯補綴学の中で長く検討されてきたものです。

すべての歯を失った方の治療では、隣に残る天然歯を手本にすることができません。そのため、人工歯の形や色、位置を、その方の顔立ちや口の働き、ご本人の希望と照らし合わせながら決める必要があります。

補綴学では、この課題をどのように考えてきたのでしょうか。ここでは総義歯における審美の考え方をたどりながら、現在の修復治療にも受け継げる視点と、歴史上の提案として読み直す必要がある部分を整理します。

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総義歯補綴学と顔貌の回復

歯を失うと、噛む働きだけでなく、前歯やその周囲の組織による唇の支えも変わります。その結果、口元の形や、話したり笑ったりしたときの見え方にも影響が及びます。総義歯では、人工歯とそれを支える義歯床を使って、こうした関係も含めて回復することを考えます。

歯が残っていなくても、治療の手がかりがまったくないわけではありません。抜歯前の写真や模型、以前使っていた義歯が残っていれば参考にできます。現在の顔立ちや顎、口唇の状態、ご本人がどのような口元を望んでいるかも、人工歯を選び、並べるための情報になります。

総義歯の治療では、人工歯を整然と並べるだけでは答えられない問題があります。どのような形と位置にすれば、その方の口元に収まり、噛むことや話すことにも適するのか。こうした課題が、歯の形と顔立ち、機能との関係を具体的に考える背景になりました。

1950年代における歯科審美の体系化

1951年、Earl Poundは「Esthetic dentures and their phonetic values」という論文を発表しました。総義歯の審美と発音が、この時期にはすでに一つの主題の中で論じられていたことが分かります [1]。

1955年には、John P. FrushとRoland D. Fisherが、Journal of Prosthetic Dentistry誌でDentogenicsの連載を始めました。二人は、審美についての考え方を自分たちが初めて生み出したとは述べていません。それまでの考え方を踏まえながら、義歯を使う一人ひとりに即して審美を考えることを提案しました [2]。

Dentogenic Esthetics の成立と SPA因子

Dentogenic Estheticsでは、義歯を使う人に合った外観を考えることを重視しています。FrushとFisherは、その手がかりとして、性別(Sex)、個性(Personality)、年齢(Age)というSPA因子を挙げました [2]。

1955年の論文では、この発想に影響を与えた人物として、Frushがチューリッヒで出会った彫刻家Wilhelm Zechが紹介されています。Zechは、人工歯の形に個性や生命感を表そうと試みており、その造形の考え方がFrushとFisherに影響を与えました [2]。

具体的には、歯の角を丸めて柔らかな印象にする、角張った形によって力強さを表す、切縁に摩耗を加えて年齢の印象を調整するといった方法が提案されています。歯の向きや位置のわずかな違いも、口元の印象に関わる要素として扱われました [3]。

ただし、ここでは歴史上の提案と、天然歯について実証された事実を分けて読む必要があります。「女性には丸い歯、男性には角張った歯」という記述は、FrushとFisherが採用した表現上の考え方です。性別や性格から、その人の天然歯の形を決められることを証明したものではありません。

現在の診療に受け継げるのは、人工歯の形を、それを使う人との関係の中で考える視点です。性別や年齢による類型を、ご本人の実際の特徴や希望より優先するという意味ではありません。また、年齢を考慮するからといって、失われた歯の摩耗や変色をそのまま再現する必要があるわけでもありません。

総義歯補綴学が示した審美評価の視点

前歯形態の分類と顔の輪郭

J. Leon Williamsが示した、正方形、卵円形、尖形という前歯形態の分類は、人工歯を選ぶ際の手がかりとして知られています。顔の輪郭と歯の形を対応させる考え方で、FrushとFisherも先行する仕事として取り上げています [2]。

ただし、歯の形を分類できることと、顔の輪郭からその人に合う歯の形を決められることは別です。インドの18〜28歳の有歯顎者200人を調べた研究では、上顎中切歯と顔の形との明確な対応は確認されませんでした。対象や評価方法に限りのある研究ですが、こうした分類を、すべての人に当てはまる法則として扱うことはできないと分かります [4]。

分類は、歯の形の違いを説明し、候補を考えるためには使えます。最終的な形は、残っている歯や顔立ちとの関係を見ながら、実際の口元でどのように見えるかを確認して決める必要があります。

前歯の切縁と笑ったときの口唇

FrushとFisherは、上顎の中切歯、側切歯、犬歯の先端が描く曲線をsmiling lineとして扱いました。一本ずつの歯だけを見るのではなく、前歯全体が作る曲線や位置関係にも目を向けたのです [3]。

その後、矯正歯科のHulseyも、上顎前歯の切縁が描く曲線と、笑ったときの下口唇の上縁との関係を検討しています。歯と口唇を一緒に見るという考え方が、分野を越えて論じられてきた例です [5]。

前歯の曲線と口唇との関係は、口元を考える一つの手がかりになります。ただし、その曲線だけで笑顔全体の魅力や、ご本人に合う歯の形まで決まるわけではありません

前歯の位置と発音・口唇支持

前歯を前後のどこに置くかは、唇の支え方に関わります。また、歯の先端の位置は、話しているときに歯がどの程度見えるかにも影響します。

FrushとFisherは、口唇の支え、前歯の傾き、会話をしているときの見え方などを、人工歯を並べる際に確認する項目として具体的に取り上げました [3]。

歯の形や位置は、口元の見え方に関わると同時に、実際の口の働きにも関係します。そのため、審美と機能はそれぞれ確認しながら、同じ歯の形や位置の中で両立できるかを考える必要があります。

審美歯科の多分野への展開

総義歯補綴学は、現在の審美歯科につながる重要な源流の一つです。ただし、現在の審美歯科全体が、総義歯だけから発展したわけではありません。

矯正歯科でも、歯列と顔立ち、口唇との関係が論じられてきました。Robert M. Rickettsは1968年の論文で、それ以前からの研究を踏まえ、鼻の先端と顎先の軟組織を結ぶE-lineを基準として口唇の位置を評価する方法を論じています。正面から見た歯並びだけでなく、横顔の中で口唇の位置を捉える考え方です [6]。

保存修復では、歯質を残しながら失われた形や色を回復することが課題になります。歯周治療では、歯を支える組織の健康や形を扱います。また、接着技術の進歩によって、残っている天然歯に修復材料を接着して回復する方法も広がりました。その技術の歴史については、関連ページ「接着歯学とMI修復歯科」で説明しています。

総義歯で歯ぐきを模した部分を人工材料で作ることと、天然歯の周囲にある歯周組織を治療することも同じではありません。外観を考える視点には共通する部分があっても、人工材料で形を作る場合と、生きた組織を扱う場合では、治療が成立する条件が異なります。

現在の審美修復への継承

現在、一本の歯を修復するときも、その歯だけを見て形や色を決めるわけではありません。隣の歯との関係、口唇に対する位置、話したり笑ったりしたときの見え方、発音やかみ合わせ、歯ぐきの健康や形まで確認します。

総義歯では、多くの人工歯の形や排列を同時に決めます。一方、一本の天然歯を修復する場合には、すでに残っている歯や歯周組織との関係が治療の条件になります。そのため、総義歯で用いられてきた方法を、そのまま一本の修復へ移すことはできません。ただ、修復した歯を口元全体の中で評価するという視点には、共通するものがあります。

また、見た目の改善を主な目的として治療する場合でも、かみ合わせや発音、歯周組織の状態を確認する必要があります。そうした部分に実際の処置が必要かどうかと、診査して状態を確認することは分けて考えます。
この歴史から現在の治療へ受け継げるのは、一つの決まった歯型や、美しさについての規格ではありません。歯を、その歯を使う人との関係の中で考えるという視点です。

どのような形と機能を回復するのか。その方は、どのような口元を望んでいるのか。総義歯補綴学の中で長く考えられてきたこうした問いは、現在の審美修復にもつながっています。

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執筆者

田中良一

表参道歯科アールズクリニック院長

東京医科歯科大学(現 東京科学大学)卒業、山王病院歯科医長(審美歯科・歯周補綴担当)を経て開業。審美修復をはじめ、歯周病やインプラント分野でも国内外で研鑽を積み、知識と技術を培ってきました。歯や歯ぐきの健康、かみ合わせを確かめながら、修復した歯が顔立ちや表情になじみ、ご本人が自分の口元として感じられることを大切にしています。

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